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つい昨晩(9月14日)のことですが、ナショナルシアターの別館で行われた芝居を見に行ってきました。題して「誘ふ水」
題名から想像がつくと思いますが、これは日本をテーマにした演劇です。扱っている人物は、小野小町、菅原孝標女(更級日記)、谷崎潤一郎、谷川俊太郎、川端康成、瀬川如皐、小泉八雲、小熊秀雄(早世の漫画家)、飯島耕一、小林一茶、山口茜、山本常朝(葉隠れ)、鴨長明、と、いったいこれらの人物がどこでどうつながっているのかクエスチョンマークが渦巻きます。
まったくのアトランダムであることは作者も認めているところですが、はたしてこれをどうまとめていくのでしょう。
ナショナルシアターはヘルシンキ駅のすぐ側にあるとても趣のある建物です。今回行われた演劇はメインの建物ではなく道をへだてた小さな別館で行われました。
こじんまりした会場に入っていくとクロークとバーが一緒になった狭い空間にいきなり目に入ったのは壁にかかった鮮やかな振袖。「鮮やか」などという言葉を使うといかにも褒め言葉に聞こえますが、正直なところこのような類の着物を海外で見ると日本人としては恥ずかしいとしか言いようがありません。ミもフタもない言い方をすれば、なんかまるで「場末の女郎」みたい。京都で創作着物をつくっている私の友人などがこれを見たら、即座に「帰る!」言い出すかもしれません。ただし、演出者はそういった効果も計算に入れているいううがった見方もできないことはないでしょう(苦しいけれど)。
座席は100席程度。舞台と客席は文字通り手がふれるぐらいの近さです。舞台の下手には4畳半の本畳が敷かれた座敷、上手は斜めに切り取られた別座敷になっていてふすまで開け閉めができるようになっています。この舞台は本当によくできていました。照明の効果も抜群です。すでに上手の座敷ではどちらも着物姿の女性と二人の男性がお茶をたてているところでした。
結論からいいますと、言葉がわからないというハンディを差し引いても大変素晴らしい舞台でした。殺陣師の指導を受けているのかどうか、三人の侍たちの切りあいも見事。しかし、何より素晴らしかったのは年配の男優、ヘイッキ ノウシアイネン(Heikki
Nousiainen)の演技です。
まず着物姿がぴったりと板についている。侍姿はもちろんのこと、農夫の格好でも、だんな風の格好でも、帯を腰骨のところでできりっと締め上げた着物の着方がとても粋です。こんな粋な姿の男は今頃日本人でもそう滅多にお目にかかることはできません。
作務衣をまとい、カンカン帽を頭にのせて、さらに赤い番傘をかざしているのは谷崎潤一郎だとか。谷崎あたりだと洋風のほうがそれらしい気もしますが、ここではこの時代の男のファッションをごく自然に見せてくれたといってよいでしょう。しゃべっている内容はトイレの話だったと後で聞きましたが、たとえトイレの話ですらそれはきっと粋に聞こえたことでしょう。洒脱なトークに観客から一斉に笑いが起こっていました。
舞踊家鈴木明さんの秋田音頭では、思わず一緒に口ずさみそうになりました。フィンランド語がわからないせいか日本語になると耳が勝手に動くようで、別の場面でも、バックグラウンドに流れていたTVニュースを耳がいつまでも追っているのに気づきます。
最後はこのヘイッキがみすぼらしい姿となった小野小町を演じます。僧侶の衣を脱ぎ捨てて晩年の小野小町となっていく有様はごく自然で、日本人にとっては大変わかりやすい演出でした。またこのときのヘイッキの襤褸姿も非常に気品に満ちたものでした。ふりかえってみると男優の着物はみな渋好みであったのに、女優の着物がどうも凡庸に過ぎていたのがいささか残念です。
この舞台の観客はフィンランド人であって、日本人ではありません。この芝居を日本で演じたとしてもそれほど受けるかどうかなんともいえません。パロディというのはそもそも基礎となる共通認識があってこそのパロディです。この芝居はフィンランド人の日本人感を下敷きにしているため、日本人が見るときにはパロディのパロディという二重構造を頭に入れておかないと、枝葉末節にひっかかって面白さが半減してしまうでしょう。とくにこのようなテーマでは、同じ芝居でも外国で見るのと自国で見るのとは感興がまったく異なってきます。
しかし、そういったことをすべて含めて、演技のレベルの高さにはさすがという他はありません。小ステージの利点が存分に生かされた舞台。映画でもない、テレビでもない、芝居ならではの血のかよった舞台。その醍醐味をたんのうさせてくれた夜でした。
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