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海外で不自由するのが日本の雑誌。たまに人からいただいたりすると、なめるように読んでしまいます。先日、手に入った7月号の「婦人公論」を読んでいると、フィンランドの画家のことをとりあげた文に行き当たりました。平安寿子さんの「逃げ道がないときにこそドラマが生まれる」というエッセイです。
「バレエを見に行ったハンブルグで、街角に貼られていた自画像のポスターに一目惚れし、フィンランドの女性画家ヘレネ シュイエルフベックの存在を知った。この人も中年以降がらりと作風が変わり、1910年代、つまり二十世紀初頭に現代のイラストのようなシンプルなタッチを獲得して、静かで意思的な女性像を多く描いている。」
これを読んだとき、名前に記憶がないにもかかわらず、またその絵の写真がないにもかかわらず、「あ、あの画家か」と感ずるところがありました。たしか美術館で買った絵葉書はこの画家のものでは。調べてみると間違いありません。 Helene
Schjerfbeck (1862ー1946)
カリに聞いてみると、
「ヘレーネ シュールフベックはフィンランドを代表する画家だ。スウェーデン系の人で、亡くなったのはスウェーデンだと思うけど、もとはたしかこの近所に住んでいたんじゃないかな」
彼女はヤルベンパーから電車で20分ぐらいの距離にあるヒュビンンカーというところに母親と一緒に暮らしていたそうです。私がはじめてフィンランドを訪れたとき美術館で買った絵葉書は彼女の描いた「少女のうなじ」の絵でした。以来、美術館を訪れるたびに画家の名も確かめもせず彼女の絵を選んでいたようです。
ただ、優れた画家であることはいうまでもありませんが、自分で持ちたい絵かと問われると難しいところです。心をかき乱される絵というのはやはりどこか自分に訴えるところがあるのでしょうが、いつも乱されっぱなしでは「ちょっとしんどい」かもしれません。ムンクなどの絵も同様ですね。 |